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神宮寺(じんぐうじ)は、愛知県名古屋市昭和区御器所(ごきそ)にある真言宗豊山派の寺。山号は医王山(正式は醫王山)。 大名古屋八十八カ所 三十六番札所。 本尊は薬師如来(薬師瑠璃光如来)。仁明天皇の勅願寺とされ、また御器所最古の寺である。 秘仏である薬師如来は毎年11月8日に開帳され、多くの参拝者で賑わう。 またその日に供えられた餅(やっこ餅)を食べると病気患いがないと信仰されている。 == 歴史 == 寺伝によれば、医王山神宮寺は弘仁4年(813年)に嵯峨天皇により、現在の名古屋市熱田区神宮付近に創建が計画されたといわれる。しかし、嵯峨天皇は崩御し、遺志は第二皇子である仁明天皇へ引き継がれたとされる。 承和2年(835年)仁明天皇の勅願により、嘉祥3年(850年)神宮付近に熱田神宮別当補佐職の任を受けた高野山の僧・成惠僧都により、熱田宮鬼門除け鎮護修法所として、常磐山神護寺の名で創建されたとされ、当時は嵯峨天皇の勅筆の仁王護国般若経、勅額などが納められていたとされる。〔『愛知県歴史全集 寺院編』愛知県史誌出版協会 1986年 68頁〕 嘉元2年(1304年)に雷火により堂や文庫・庫裡・経蔵等が焼失したため、現在の名古屋市昭和区御器所(ごきそ)移り、草堂を建立した。 その際に、熱田宮奥ノ院木木津山神宮寺にならい、神護寺より現在の呼称である医王山神宮寺へ改称したとされる。 また、開山より無本寺であったが、高野山金剛峯寺の末寺となる。〔『愛知県歴史全集 寺院編』愛知県史誌出版協会 1986年 68頁〕 嘉吉元年(1441年)12月16日に神宮寺境内奥山に、御器所城主佐久間美作守家勝の勧進により、旧御器所村の氏神である八幡大菩薩(現在の御器所八幡宮)を迎える。 当寺が禰宜兼ねることになる。 慶安3年(1650年)京都密蔵院の大僧都有海が、当時の住職となるが、再び雷火にみまわれる。住職亮海僧都の尽力と、村中を勤財し、慶安5年(1652年)2月16日に宮大工大島雲八によって本堂を再建する。後に、神宮寺学頭十五世大阿闍梨法印金憧阿闍梨と引き継がれた。廣澤観光とつづくが、無僧荒廃を辿る。 明治に入ると、神仏分離令により御器所八幡宮と別れる。 明治20年(1887年)1月、高野山より拝命された中興桑原實定法尼により復興。〔『愛知県歴史全集 寺院編』愛知県史誌出版協会 1986年 68頁〕 昭和20年(1945年)太平洋戦争により諸堂が皆焼失する。現住職貞純に至り、昭和46年(1971年)に有志の助力にて本堂が再建、昭和61年(1986年)観音堂が落慶される。〔『愛知県歴史全集 寺院編』愛知県史誌出版協会 1986年 68頁〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「神宮寺 (名古屋市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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